NHK朝の連続テレビ小説『べっぴんさん』をご紹介いたします。

NHK朝の連続テレビ小説『べっぴんさん』は、戦前から戦後のお話で、毎日元気をもらっているので紹介させていただきます。

是非、録画をしてでも見ていただきたいです。

・現代がどれだけ恵まれているか。

・発想や努力次第でいくらでも道は開ける。

・厳しい現状なら常に前を向いて歩みを止めない。

銀座の高級クラブでホステスとして成功するための心掛けが学べるドラマです。

あらすじをWikipediaより引用

1945年(昭和20年)、すみれ(演 – 芳根京子は赤子を背負い、焦土と化した神戸の街を涙ながらに見つめ、ある思いを抱いていた。

月日は流れ1969年(昭和44年)、子供服メーカー「キアリス」創業20周年式典で、すみれは3人の共同創業者と共に壇上に並びながら、亡き母が教えたクローバーの四つ葉の意味「勇気」「愛情」「信頼」「希望」の言葉を思い出していた。

1934年(昭和9年)、服飾商社を営む五十八を父に持つ9歳のすみれは、神戸の山の手の屋敷で裕福な生活を送っていた。ある日、入院中の母・はなのためにハンカチに刺繍を縫うが、上手く出来ず周囲に微妙な反応をされ屈辱を味わう。その後も上達しないすみれは、靴が針と糸を使って作られていると聞いて気になり、屋敷を抜け出して靴屋を観察。そこで職人・麻田から、使う人への想いを込めて作ることが大事と助言を受ける。後日改めて母に刺繍のハンカチを作り喜ばれ、余命僅かとなった母と楽しい時間を過ごしたすみれは、もらった人が嬉しいと思える「べっぴん(別品)さん」を作る人になりたいと誓い、天国へ旅立つ母を見送る。

1942年(昭和17年)、女学校の5年生になったすみれは、友人の良子君枝もんぺに刺繍を施したり、彼女たちと手芸倶楽部を結成するなど、青春を謳歌していた。そんな中、幼馴染のから出征の報告を聞いたすみれは、彼への恋心に気付く。

しかし、潔は姉・ゆりと結婚。すみれは祖母・トク子から両親が苦労を重ねて事業を築いたことを聞いて家を存続させる決意をし、女学校卒業後に幼馴染の紀夫を婿養子に迎え結婚する。仲睦まじい夫婦生活を送り、やがてすみれは妊娠中するが、紀夫に召集令状が届く。夫の出征中にすみれは長女・さくらを出産し、育児に奮闘しながら使用人らと共に家を守っていくが、戦局が激しくなり父と姉らと近江の父の実家へ疎開する。そして終戦を迎えた時には、神戸の街や自宅は空襲で焼失していた。

伯父・長太郎から退去を言い渡されたすみれは、神戸に戻り夫の帰りを待つことにする。政策で預金口座が凍結されて生活は窮地に陥り、潔の助言や麻田の提案で手芸品販売を始めるが、売れ行きは不振。そこで来店客の反応や渡日した妊婦・エイミーとの出会いで、需要ある物を供給したいと考え直したすみれは、子供服店の起業を思いつき、手始めにエイミーのために西洋式のおむつを作るため、顔見知りのベビーナース・明美を探し出して教えを乞う。すみれに嫌悪感を持つ明美は即座に断るが、彼女からの謝罪と母娘で生き抜く為に意識が変わったことを聞き、今回限りの条件で協力する。更にエイミーからベビードレス製作の依頼を受けたすみれは、再会した良子と君枝の力を借りて、母の形見ウエディングドレスを切りほどき商品を完成させる。この共同作業をきっかけに、すみれの起業の誘いを断っていた良子と君枝は考えが変わり参加。話を聞いた明美も仲間に加わり、4人で「ベビーショップあさや」を開店させる。開店程なく良子は接客に失敗して気を害し、君枝は病弱体質に無理が祟り入院し家族に反対され、それぞれ店を辞めるアクシデントに見舞われるが、良子は開店に向けて商品を作った気持ちを思い出し、君枝は店の運営に強い希望を持っていることを夫に認められて再び戻って来る。高品質、母親の立場を理解した心意気に加え、定期的に明美の育児相談会を始めるなどし、店の集客は増えていく。そして近隣の広い空き店舗への移転を計画し店名を「キアリス」へ改称を決めた時、消息不明だった紀夫が帰還する。すみれを守りたい気持ちから、紀夫はすみれに経営から手を引く様に要請するが、店が自身の居場所と宣言するすみれの言葉を聞き、容認する。

1948年(昭和23年)、第一次ベビーブームの影響もあり、キアリスは少しずつ繁盛していく。ある日、商店街で話題の店として新聞の取材を受けるが、掲載された記事は母親を兼ねる3人のみが経営者として紹介されて明美は落胆、すみれは悔しく思う。同時期に、紀夫を通して大急百貨店から納品依頼を受けたすみれは、明美を含めた4人の店であることや商品を多くの人に知ってもらう機会として承諾する。百貨店の売れない商品は廃棄されることを知り、更に担当者の要求から商品に込めた4人のこだわりが失われることを危惧し、一度は取引を反故にしようとしたすみれであったが、百貨店の社長・大島に10日間限定の委託販売での出店を提案されて引き受ける。準備を整え出店に挑んだものの、開店から3日間の売上はゼロ。しかし、ポスターを急遽作成・掲示して子育て世代の呼び込みに成功し、最終日を終えての売上は百貨店の予測の3倍になる。そして大島からの打診で百貨店内にキアリスの支店を置くことが決定するが、同時期に坂東家の使用人・喜代が入院し、すみれは仕事の傍ら家事育児を一手にこなす。支店開店前日、夜中まで準備に夢中になり百貨店に閉じ込められたすみれは、翌朝帰宅し、紀夫から平手打ちを食らう。以後気まずい夫婦仲が続きながらも忙しく奔走するすみれだったが、過労で倒れ3日間の安静を言い渡される。安静生活のなか、さくらの成長や悩みに気づき、夫婦の在り方について改めて考え、更に従業員たちの充実した様子を見たすみれは、回復後にキアリスを辞める。すみれが家事や子育てに専念し家族関係は円満になっていくが、子育て中の母親や子供たちのために生き生きとキアリスを補助する彼女の姿を見て、紀夫は複雑な思いを抱く。折しも将来の坂東営業部の経営者として適性に合わず苦悩していた紀夫は、坂東営業部を退職。すみれに仕事に戻ることを勧め、自身はキアリスの経理職への転職を決める。

清水の勧めもあり、1949年(昭和24年)にキアリスは法人化する。株式会社としてけじめをつけようと、紀夫は朝礼を実施し従業員は苗字で呼び合うことを強要するが、すみれたちは仕事にやりづらさを感じるようになる。妊娠したゆりの話から、キアリスを子供用品が全て揃う店にしようと思いついたすみれは、明美・君枝・良子と話し合い手始めに子供用の食器の販売を決めて発注の手配をするが、紀夫から事前相談がなかったことや経理的な事情から叱責される。しかし、麻田や潔はすみれのアイデアや行動力を肯定し、渋々紀夫は販売を許可。結果、出来上がった食器セットは大ヒットし、東京の松島屋デパートからも出店依頼が舞い込む。これらの結果やすみれの懇願もあり、紀夫は従業員が互いを名前で呼び合うことを許可する。

 

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